相続の手続きは、多くの方にとって一生のうちに何度も経験するものではありません。 何をどの順番で進めればよいのか分からないまま、悪気なく行った行動が、 後から思わぬ形で影響することがあります。この記事では、相続の場面で実際に 起こりやすい失敗やつまずきを取り上げ、「何が起きるのか」「どうしておけば よかったのか」をあわせてご紹介します。あらかじめ知っておけば防げることも 多いテーマですので、落ち着いて読んでいただければと思います。
なぜ相続では「うっかり」が起こりやすいのか
相続の手続きの多くは、ご家族を亡くされた直後という、心身ともに余裕の少ない 時期に始まります。葬儀や各種の届け出に追われながら、普段関わることのない 制度や書類に向き合わなければならず、「知らなかった」「良かれと思ってやった」 ことが、後になって手続き上の問題につながるケースは珍しくありません。 以下では、特によく見られる事例を取り上げます。
事例1: 遺産分割協議の前に、故人の預金を使ってしまう
葬儀費用や当面の生活費が必要になり、亡くなった方の預金口座からお金を引き出して 使ってしまう、というのはよくある場面です。しかし、相続人全員での話し合い (遺産分割協議)が終わる前に、故人の財産に手をつけて消費してしまうと、 法律上「単純承認」(プラスの財産もマイナスの財産もすべて引き継ぐことに同意した) とみなされる場合があります。
これの何が問題かというと、後から故人に多額の借金があったことが判明しても、 すでに単純承認したとみなされていれば、相続放棄ができなくなる可能性がある、 という点です。相続放棄と借金の相続、および3か月という期限の詳しい仕組みについては、 別記事「相続放棄と借金の相続」でご説明していますので、あわせてご覧ください。
どうすればよかったか/今からでもできること: 故人の財産状況(借金の有無を含む)がはっきりしないうちは、預金の引き出しや 遺品の処分など、財産に手をつける行動はいったん控えるのが安全です。葬儀費用など どうしても必要な支出がある場合は、何にいくら使ったかの記録を残しておくと、 後の話し合いや専門家への相談がスムーズになります。
事例2: 自宅で見つけた遺言書を、その場で開封してしまう
自筆証書遺言(自分で手書きした遺言書)が自宅の引き出しなどから見つかった場合、 「中身を確認したい」という気持ちから、その場で開封してしまうことがあります。 しかし、法務局に預けられていない自筆証書遺言は、家庭裁判所での「検認」という 手続きを経る必要があり、検認の前に勝手に開封することは法律で禁じられています。
検認前に開封してしまっても、それだけで遺言そのものが無効になるとは限りませんが、 過料(行政上のペナルティ)の対象になり得るほか、「開封した人が内容を書き換えたのでは」 という疑いを他の相続人から持たれ、相続人同士の関係がこじれる原因にもなりかねません。
どうすればよかったか/今からでもできること: 遺言書らしきものを見つけたら、開封せずにそのままの状態で保管し、家庭裁判所での 検認手続きを行うのが基本です。すでに開封してしまった場合も、まずは家庭裁判所や 専門家に相談し、その後の対応を確認するとよいでしょう。なお、法務局の 「自筆証書遺言書保管制度」を利用していた遺言書は、検認が不要とされています。
事例3: 相続人の一部を除いて、遺産分割協議を進めてしまう
「疎遠だから」「連絡先が分からないから」といった理由で、相続人の一部を 除いたまま遺産分割協議を進め、話し合いがまとまったつもりになってしまうことがあります。 しかし、遺産分割協議は相続人全員の参加と合意があって初めて有効になる手続きです。 一人でも欠けたまま行った協議は、原則として無効になります。
前の配偶者との間に子がいる、認知した子がいる、養子縁組をしていたなど、 戸籍を確認して初めて分かる相続人がいるケースもあります。協議がまとまった後に 知らなかった相続人の存在が判明すると、名義変更や預金の解約がすでに済んでいた 場合でも、協議をやり直さなければならなくなることがあります。
どうすればよかったか/今からでもできること: 遺産分割協議を始める前に、故人の出生から死亡までの戸籍をたどり、相続人の範囲を 正確に確認しておくことが欠かせません。連絡が取りにくい相続人がいる場合も、 本人を除いたまま進めるのではなく、手紙や専門家を介した連絡など、 本人に協議への参加を求める方法を検討することが必要です。
事例4: 不動産の名義変更(相続登記)を、そのままにしてしまう
実家や親名義の土地・建物について、「今すぐ売る予定もないから」と、 相続による名義変更(相続登記)をしないまま何年も放置してしまうケースです。 以前は相続登記に期限がなく、放置されがちな手続きでしたが、2024年4月からは 相続登記が義務化され、正当な理由なく期限内に登記をしないと、過料の対象に なり得る制度に変わっています。
名義変更をしないまま世代が進むと、相続人の数がどんどん増えていき、 いざ手続きをしようとしたときには、会ったこともない遠い親族を含めた 全員の合意が必要になっている、という事態も起こり得ます。結果として、 手続きの手間や必要書類の量が、当初より大きく膨らんでしまいます。
どうすればよかったか/今からでもできること: 不動産を相続したら、使う予定の有無にかかわらず、早めに名義変更の手続きを 進めておくのが基本です。すでに名義変更をしないまま長期間が経っている 不動産に心当たりがある場合も、「今から」対応することに意味があります。 早めに法務局や司法書士に相談することをおすすめします。
事例5: 判断能力が十分でない相続人がいるのに、そのまま手続きを進めてしまう
相続人の中に、認知症などにより判断能力が十分でない方がいる場合、 その方の実印を家族が預かって、本人がよく理解しないまま遺産分割協議書に 押印してしまう、というケースがあります。しかし、判断能力が十分でない方が 行った意思表示は、法律上有効な合意として扱われない可能性があります。
このような状態で進めた遺産分割協議は、後になって有効性が問題になることがあり、 不動産の名義変更や預金の解約がいったん完了した後でも、やり直しが必要になる 場合があります。また、成年後見制度などの手続きを踏まずに進めたこと自体が、 本人の利益を守れていない状態だったとも言えます。
どうすればよかったか/今からでもできること: 相続人の中に判断能力が十分でない方がいる場合は、家庭裁判所に成年後見人などの 選任を申し立て、本人に代わって手続きを行う人を立てるのが基本です。 時間がかかる手続きではありますが、本人の権利を守るためにも必要な手順です。 早い段階で専門家に相談し、進め方を確認することをおすすめします。
事例6: 遺産分割協議書の内容を、よく確認せずに署名・押印してしまう
「早く手続きを終わらせたい」「他の相続人にまかせておけば大丈夫だろう」 という気持ちから、遺産分割協議書の内容を十分に確認しないまま署名・押印して しまうケースです。しかし、いったん有効に署名・押印した遺産分割協議書は、 後から「思っていた内容と違った」と気づいても、相続人全員の合意がなければ やり直すことができません。
特に、財産の一覧に記載漏れがあったり、特定の相続人に著しく有利な内容に なっていたりする場合、後から気づいてトラブルになることがあります。 「みんな合意しているのだから大丈夫」と流れで進めてしまうと、 自分にとって不利な内容のまま確定してしまう可能性があります。
どうすればよかったか/今からでもできること: 署名・押印の前に、記載されている財産の内容がすべての財産を網羅しているか、 分け方の内容に納得できるかを、時間をかけて確認することが大切です。 内容に少しでも疑問があれば、押印を急がず、専門家に内容を確認してもらってから 判断するようにしましょう。
事例の共通点
ここまでの事例に共通しているのは、「知らなかった」「急いでいた」「言われるまま 進めてしまった」という点です。相続の手続きの多くは、いったん進めてしまうと 後から元に戻すことが難しいという性質があります。逆に言えば、進める前に 立ち止まって確認する習慣を持つだけで、防げる失敗も多いということでもあります。
| やってしまいがちなこと | 気をつけたいポイント |
|---|---|
| 協議前に故人の預金を使ってしまう | 財産・負債の状況がはっきりするまで、手をつけるのは控える |
| 見つけた遺言書をその場で開封する | 開封せず、家庭裁判所の検認手続きを行う |
| 一部の相続人を除いて協議を進める | 戸籍で相続人の範囲を確認し、全員の参加を求める |
| 不動産の名義変更を放置する | 相続登記は義務化されている。早めに済ませる |
| 判断能力が十分でない相続人の合意なく進める | 成年後見制度などの利用を検討する |
| 協議書の内容を確認せず署名・押印する | 内容を十分に確認してから署名・押印する |
まとめ
相続の失敗の多くは、悪意や不注意というより、「知らなかったこと」「急いでいたこと」 から起こります。この記事で取り上げた事例に心当たりがある場合でも、 今から対応できることは少なくありません。まずはご自身の状況を振り返り、 不安な点があれば、進める前に一度立ち止まって確認する時間を持つことをおすすめします。 判断に迷う場合や、すでに手続きを進めてしまって心配な場合は、早めに税理士・ 弁護士・司法書士などの専門家に相談することで、選べる対応の幅が広がることがあります。
ご利用にあたって
本記事は、相続に関する一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の税務相談・ 法律相談に代わるものではありません。実際にどのような対応が可能かは、 財産の内容や相続人の状況によって大きく異なります。具体的なご判断の前には、 必ず税理士・弁護士・司法書士などの専門家にご相談ください。
記事内の制度・期限(相続登記の義務化の時期など)は執筆時点の情報に基づく 目安です。制度は改正されることがあるため、最新の内容は法務局・国税庁など 公的機関の発表または専門家にご確認ください。